『切子』の歴史

世界でもっとも古い色被せガラスと云われてるのは、中国の清の時代(1736〜1795)までさかのぼります。清時代の元号が高宗朝の時に作られた乾隆ガラスが発端らしく、この乾隆ガラスを参考にして開発されたのが、1851年に誕生した「薩摩切子」の前身と考えられています。

現存する昔の文献には、外国貿易が盛んになってきた江戸時代に、この乾盛ガラスはその頃貿易で盛んだった長崎に伝わり、当時の長崎ガラス商人の播磨屋久兵衛(はりまや・きゅうべえ)が大坂(大阪)に呼ばれて、天満宮界隈で製作を開始したのが始まりと書かれています。

その頃、このガラスの評判が江戸に伝わることとなり「江戸切子」として人気を博しました。

「薩摩切子」は、幕末に27代薩摩藩主島津斉興(なりおき)が弘化3年(1846)に、江戸加賀屋のガラス職人四本亀次郎を招いて、薬瓶などのガラス器の製造に成功したことが始まりです。斉興没後の、嘉永4年(1851)には28代藩主島津斉彬(なりあきら)が宇宿彦左衛門、中原猶介らに紅ガラス製造法の研究を命じ、金粉で紅色、銅粉であん紅色(黒っぽい赤色)の製造に成功しました。

当時としては最高の研究と開発の結果生まれた美術工芸品ともいわれており、代表的なものには「紅ガラス」と「藍色ガラス」があります。

こうして鎌倉時代にやきものの人気におされ一度は途絶えてしまった日本のガラス工芸は、江戸時代に復活を遂げたのです。しかしながら、そんな「薩摩切子」も16年間ほどの短い期間で、再び途絶えてしまうことになってしまいました。そのためこの時代の「薩摩切子」は現存する数が非常に少なく、その大半がサントリー美術館に所蔵されています。以前、一部個人所有の薩摩切子がTVのお宝鑑定に登場し、その薩摩切子に高額の鑑定結果 が出たのもうなずけます。

一方、「江戸切子」は庶民の間で普及し、細々と受け継がれて残っていきました。

様々な紆余曲折を経て途絶えてしまった薩摩切子も、昭和に入ってから復活する事になります。日本最大だったガラス商社「カメイガラス株式会社」故亀井節治氏の人力によって、薩摩切子が持つ良さを忠実に復刻、商品化することで、人気に火がつきました。まさに不死鳥のような復活劇です。

復刻された薩摩切子は、瞬く間に高級品として世間に広まり、現在に至っています。